ヤスクマの卓球Log

卓球が好きな大学院生のブログ。デュエプレや投資などなんでも書きます。

「反貧困」を読んで東大生が考える

所謂読書感想文というものを書いてみようと思う(ブログのネタに困ったので)。小学生時代には読書感想文を忌み嫌っていた自分が、今読書感想文を書いてそれをネットにアップしているのだから、人生は面白いものだ。

記念すべき1冊目は『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)です。

いきなり重いテーマの本だけど、一番最近に読んだ本がこれなので仕方がない。

この本自体は、2008年の本であり少し古い。しかし、この本で取り上げられている課題は10年以上たった今も残されている。自己責任論の跋扈する今こそこういう本が重要なのかもしれないと思った。非常に読みやすく高校生くらいの子が読むのもいいのではないか。

 

 

はじめに

この本が出版された2008年では、非正規労働者問題・ネットカフェ難民生活保護問題が取りざたされ、日本における貧困問題が発見された頃である。著者の湯浅氏は、社会に注目される以前から貧困問題の現場で動いていた方である。本書では、第一部ではその経験から貧困問題の実態について取り上げ、第二部では反貧困に取り組む人がどのようなことをしているかというのを示している。そして、貧困問題から目をそらさず強い社会の実現に向けて声を上げるべきだと強く主張している。

 

溜めという概念

著者は本書において”溜め”の重要性を示している。ここで言う”溜め”とは、潜在能力や余裕のようなものである。大きな溜池のある地域では、多少雨が降らなくても慌てる必要はない。これと同様のことが貧困においても言える。つまり、貧困とはその”溜め”・潜在能力が失われた状態である、と著者は主張している。

分かりやすいところでは、金銭的な”溜め”である貯金、人間関係の”溜め”である親戚・友人などが挙げられる。いきなり病気になったりで失業した際、貯金があったり頼れる人間がいれば、いきなりその日暮らしになる訳ではない。しかし、その”溜め”のない人は、失業した際にいきなり明日を生きるのに苦労することになる。貧困とはそういう状態なのであると著者は強調している。

 

思ったこと

貧困と自己責任論

日本は豊かな国であることは間違いない。しかし、相対的に貧困な人間は多くいる。この事実は見ようとしなければ見えない。貧困の現場を目の当たりにしたことのない人間にとっては、貧困は別の世界のことのように思われてしまう。書くいう自分もそうであるが、裕福な家庭で育つと貧困問題は見えづらい。というのも、自分が恵まれた環境にいるということを認識できず、”溜め”のない環境を想像することが出来ないためである。

そういう人間が陥るのが自己責任論である。貧困になるのは努力が足りないからだとなってしまう。頑張るための”溜め”の欠如した状態を想像できず、頑張りを強要してしまう。これでは、貧困問題を隠してしまい、より格差を広げていってしまう。

東大生の世帯年収についての話

そこで東大生の親の年収が高いという話を思い出した。東大生の約60%が世帯年収950万円以上であるという話である。

東大生の親の年収【世帯年収1000万円以上】|年収ガイド

東大生の僕から見ても、周りには裕福な人が多いと思う。東大にいても貧困は見えてこない。そして自己責任論を支持する人が多いと感じる。これは受験において努力をしてきたからで、かつ自分と同等以上の環境でも受からない人というのを沢山見ているからだと、僕は考えている。

この話は思う以上に深刻な問題なのではないかと、この本を読んで思った。政策を作る官僚の多くを占めるのは東大出身者であるからだ。政策を作る側の人間が貧困に気付いていないのは危険なのではないか、と感じた。これが杞憂であれば一番嬉しいが。

菅総理の自助、共助、公助、そして絆

最近よく聞く菅総理の目指す理念である「自助、共助、公助、そして絆」。まず自分でやってみて、だめなら共に助け合う、それでもだめなら政府が助けるというものです。内容自体は正論だなと思うのですが、この言葉は貧困層にとっては厳し過ぎるのではないかと思う。それに、自己責任論が跋扈する近年においてはこの自助の範囲が広くなりすぎてるし、共同体意識も薄れてて共助なんてほぼない。そうなると、公助まで辿り着いた頃にはボロボロになって再起することができなくなってしまう。

本当に強い社会を目指すなら、自助、共助、公助の3つが編み込まれたセーフティネットを形成することが必要になると思う。これは貧困だけではなく、少子高齢化・男女格差・過労死など日本の抱える諸問題についても言えることだと感じる。そもそも、貧困とこれらの問題は切っても切り離せない密接に結びついたものである、と捉えるべきなのかもしれない。

 

最後に

何でこの本を読んだかというと、書店で平積みされていて少し興味を持ったから、というミーハーなものだったが非常に面白く読むことができた。10年前の本ということで情報が古いのだが、現在と比較して読むと良いと思った。現状は改善している?それとも変わってない?なんなら悪化しているのではないか。そういう風に読むことで社会に関心を持つことが出来ると思う。