ヤスクマの卓球Log

卓球が好きな大学院生のブログ。デュエプレや投資などなんでも書きます。

「批判するなら代案を出せ」って言葉が嫌い

最近巷でよく聞く言葉に「批判するなら代案を出せ」があります。

野党は批判ばかりでなく代案を出せよ。っていう感じでネットで使われているのをよく見ます。*1

恐らく議論において否定ばかりしてくる人に対しての言葉でまあ気持ちは分かります。実際全部にいちゃもんつけてくる奴っていてうざいですし、議論進まなくなりますし。

でも僕はこの言葉は危険だなあと思っています。だから嫌い。

批判だけでもいいでしょ

明らかに正義じゃなかったり、世界に悪影響を与えるものは存在して、それらは批判されてしかるべきでしょう。

すごい極端な例だと、「LGBTは子供を残さないから社会保障から外そう」とか言われたら、代案なんかなしで批判するべきでしょう。

これは極端すぎるけど、批判する時に代案を必要とする風潮が強くなってルール化するのはよくない気がする。代案を出すのが難しいような課題に対処する際には、批判を互いにすることによって欠点をなくすような議論が必要だろう。

「批判するなら代案を出せ」がルールになってしまうと、批判をする行為のハードルが上がる。ある案のもたらす悪影響に気付いても、対案が無ければ批判できなくなってします。そんなことで問題点が看過されてしまうと後々困りますよね。

 

おわりに

個人的には対案無き批判はあっていいと思います。

批判を聞き、考察することで解決案を探っていくのが健全な社会だと僕は思います。

*1:そもそも野党は対案だしてるけど