ヤスクマの卓球Log

卓球が好きな大学院生のブログ。デュエプレや投資などなんでも書きます。

差別をなくす為、本当にしなければいけないことは何なのか?

最近、BLM運動がアメリカで盛んであることなどから差別問題というのが人類社会の問題として未だ解決されていないことが明らかになってきていますね。僕は差別問題とかあまり詳しくはないのですが、思ったことを書こうと思います。また、僕が近いところにいるアカデミックでの女性のことについても思ったことを書こうと思います。

アメリカの黒人差別問題

アメリカでの黒人差別の問題はもう昔からの問題で、キング牧師マルコムXとかによる公民権運動は日本人でも知っていると思います。しかし、差別はなくなっておらず、この問題が根深いものであることは今のBLM運動からも明らかだと思います。白人の警官による黒人殺人は今までも何度も起こり、その度に問題となったが解決されていないように思う。

実際問題黒人の犯罪率は高い(要出典だけど探せば普通にでてくる)。これは貧富の格差が生み出しているものであろう。黒人の貧困率は多人種に比べて高い、それにより犯罪に走ってしまうのだろう。アメリカは自由の国であり、社会保障も日本ほどあり、貧しくなるのは自己責任です。これは貧富の格差を拡大させる、なぜなら親の裕福さによって教育の質が決まり、親が裕福なら子供は更に裕福になり、貧困層の子供はより貧しくなっていくからです。

この貧富の格差をなくさなければ、結局のところで黒人差別はなくならないだろう。ずっと黒人は貧しいままで、差別され続けてしまうだろう。表面だけみて差別をなくせと言ってもなくならないだろう。

ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)

皆さんはポリコレという言葉を聞いたことがあるでしょうか?ポリコレは「差別や偏見を避けるために社会的に中立な言葉・表現を使う」というものです。

たとえば、黒人を表す英語を”Black”から"African American"に変えたり、映画や舞台に必ず黒人・アジア人を1人は出すなど、が一例です。女性差別の問題ではchairman⇒chairpersonとかが有名ですね。

このポリコレという活動、名は体を表すということからも一定の効果はあると思いますし、正確に運用できれば素晴らしいと思いますが、実態としては砂上の楼閣になっていると感じてなりません。

しかし、すべての人種を映画に出さなきゃいけないとか、ステレオタイプを助長するようなキャラにしてはいけない(陽気な黒人や狡猾な東洋人)とか、このポリコレによる縛りが強くなっていき、今では「ポリコレ疲れ」や、ポリコレを背景に人を攻撃する「ポリコレ棒」なんて言葉が言われるほどになってしまっています。

実際に差別は存在するのに表現だけ人触りをよくしたって、根本なくならないだろうという気がしてならないです。

アファーマティブアクション

アファーマティブアクションは積極的格差是正措置とよばれるものです。具体的な例として、僕の近いところでアカデミック・大学でのものを紹介したいと思います。

理系の研究職、特に物理系では女性の研究者が日本では非常に少ないです。この男女格差をなくすために、女性のためのポストを用意したりすることなどが行われています。大学の教員の女性の割合が少ないと上から怒られたりもします。

女性の研究者が少ない原因は、幾つかあります。結婚妊娠出産を考え採用しづらい、出産後の復帰がしづらい、研究者の社会が男性社会であるため、などなど沢山あります。

しかし、一つ大きいものとしてそもそも志望する人間が少ないというものがあります理系の大学をイメージしてもらえばわかりますが、男性の割合が圧倒的に多いです。例えば東大の理科一類は一学年1100人いますが女子はその中で100人もいません。更に、僕の所属していた物理系の学科では女子の割合は2/60でした(ほぼ男子校ですよね)。

もともと研究者の卵と言える学生の女子率が低いのだから、女性研究者の割合が増えるはずがありません。となるとこの問題の解決には、女性のポストを確保することも大事ですが、この根本の方から女性の割合を増やす必要があることが分かります。化学生命系は意外と女子多いのに物理はなんで…

そもそも理系大学の女子率が少ない原因はなんでしょうか?考えられるものとしては、もともと男性が多くて行きづらい、身近に理系の女性がいないなどがあげられます。また、親の反対などから女性は地方から東京などへの進学がしづらいなどがあります。

本当に女性研究者の割合を増やしたいなら、高校や中学から変えていかなければいけないのです。表面上女性の割合を増やしても先細りするだけで意味がありませんし、逆に優遇されていると思われ女性の立場がより危うくなってしまいます。

最後に

いろいろつらつらと書きました。結局ほんとに僕らがやらなければいけないことはよくわからないです。身近なところから差別をしないという意識が一番大事なのかもしれません。差別をなくす為に、表向きを取り繕っても根深いところで問題は生き続けてしまうきがしてなりません。